酵素PUNK Tシャツ
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酵素PUNK
カオルは分厚いアクリルで隔てられた簡素な部屋に座る祖母を見ている。
会話のために無数の穴が円形に空いたアクリル越しの祖母は幾分やつれて見えるが、いつもの笑顔は変わらない。面会時間は限られている。久しぶりの挨拶もそこそこに本題を切り出す。なぜ、こんなことになったのかと。祖母は何度も繰り返された尋問にすっかり飽きてしまったようで、全く、アンタもかと、ため息をついた。皺で縁取られた笑顔が仏頂面に変わり、ただ、美味しいおむすびを食べて欲しかっただけと答えた。
カオルの祖母、江野道ヨシは87歳と4ヶ月、先日、突然やってきた警察に身辺警護の名目で、この警察署に連行され、以来、拘留が続いている。
もともと、祖母は大らかで、細かいことは気にしない性格であったけれど、罪を犯すような人間ではないし、この年齢で突飛な行動をとるような…。
そこまで考えてカオルは『おむすびたもつ』の人気が出始めた頃を思い出していた。そういえば、急に店が繁盛しだしたのは祖父の死後だった。あの頃からおばあちゃんは生き生きとしていたように感じる。
「教えて、おばあちゃん。おじいちゃんが亡くなってからおむすびに何があったの」
途端、ヨシの表情が消えた。視線は虚空を見つめているようだった。長い沈黙の後こちらを見据える。
そうさね、カオルちゃん。アンタにならねえ、そう。ヨシはぼそぼそと言葉にならない言葉を織り交ぜ、語り始めた。
「保さんが亡くなった日、あれはとてもとても悲しい日だったの」
『おむすびたもつ』はカオルの祖父母、江野道保とヨシが経営した商店街の一角にある、慎ましい小さなおむすび屋である。持ち帰り専門で、人ひとりを相手にするのがやっとの、煙草屋のようなカウンターが通りに突き出していた。そんな、『おむすびたもつ』に転機が訪れるのは保が病に倒れ、その葬儀が行われる前日であった。 ヨシは保と共に歩んだ60年、時間という倦怠感がヨシを蝕むことはなく、愛を誓ったあの日から、一切、変わることなく保を愛し続けていた。
だからこそ、保の突然の死によって唯一の居場所が崩れ去ったことで酷く動揺した。衰えた瞳からは止めどなく涙が溢れ、長い人生で達観したつもりでいた自分が、赤子のように泣き腫らし、取り乱していることが不思議でもあった。
保の葬儀は整理のつかないヨシの心を他所に、粛々と準備が進んでいった。いつまでも一緒に居られると思っていたのに、保は燃やされて灰になってしまうのだと思うと胸が張り裂けそうだったし、張り裂けて仕舞えばいいとすら思った。 その刹那、ヨシの心に、あるアイデアが舞い込んだ。思いついた瞬間にアイデアは成長し、身体は若返ったかのように素早く動き始めた。ヨシは人生で初めて人を騙す決意をしたのだった。保を湯灌していたところに駆けつけると、風呂の後片付けだけはさせてくれと言い張り、誰にも見つからないように湯をすべて容器に移し替え、店の厨房に持ち込んだ。そして、保を湯灌した湯を使い、米を炊いたのだった。居なくなってしまう前に、保の一部を 自分の身体に残しておきたいという、純粋な愛ゆえの行動だった。米が炊きあがると、いつものようにおむすびを、塩握りにした。そして一口頬張ると目の前が真っ白になった。いままで自分が握ってきたおむすびとはまるで違う。天にも昇る味であった。天に昇った保の出汁おむすびは、溢れ出る悲しみを引っ込ませ、おむすび屋としての更なる高みをヨシにみせた。この味は自分だけの感覚なのだろうか、昂る気持ちがそうさ
せるのだろうか、気になって仕方がないヨシは、慌ただしく葬儀の準備をする子供達に、労いを込めたと言って、保の出汁おむすびを振る舞った。皆の反応はすこぶる良かった。膝から崩れ落ちる孫、止めどない涙を流す長男。カオルもその場にいた。おむすびを一口、噛めば噛むほど祖父の顔がありありと蘇り、一緒に行った行楽の思い出がリフレインした。ヨシの口許は緩んでいた。
保の葬儀が終わると直ぐに店を再開した。「お爺さんが亡くなっても変わらずお店は続けるの、ひとりだけど思い出があるからね。」その言葉に子供達は感動していた。 勿論、おむすびの隠し味には保の出汁を使った。常連たちが買いに来てくれ、その味に感動してくれた。しかし、保の出汁は保存に向かなかったのか、すぐに味は落ちてしまった。 そこで、苦肉の策ではあったが、家族が入った後の風呂の湯を使ってみることにした。保の出汁には及ばないが、近い味の表現に成功した。米を炊く水を、入浴した風呂の水にするだけで、劇的に味が変わるという不思議は、ヨシの研究欲に火をつけた。家族それぞれ、男、女、小児と採取して味を比べわけ、梅には男、おかかには小児、鮭はブレンドと使い分けることで『おむすびたもつ』は常連のクチコミもあってか、多い日には行列ができる繁盛店へ と変貌を遂げつつあった。 ヨシは厨房に人を入れることをよしとせず、というか、入れる訳にはいかず、1日に握れるおむすびの数が減ったが、これがかえって功を奏したようで、さらに店は人気となり、開店即完売状態となった。この頃から、店には熱心なリピーターが増えるようになっていった。皆一様にこれがないと元気がでないと言うようになり、感謝の言葉を添えて購入していった。最上の褒め言葉を貰うことで、料理人としてのヨシのこころは、更なる高みへと邁進していくのだった。 新たな一手は、近所の銭湯『万歳湯』にあった。利用者の多い休日、たくさんの人間が浸かった閉店間際を狙って、銭湯に出向き、こっそり湯を持ち帰ると、『万歳湯』の出汁でおむすびを握った。味加減如何と言えば、これがまた火花散るパンチの効いた味であった。これには明太子との相性が抜群で、この味が、それまで客層ではなかった若者たちに高評価を得、わかり易く言うならば盛大にバズった。
こうなるとヨシの狙いは温泉に切り替わる。死ぬ前の楽しみと孫を丸め込んで゙は名湯を巡り、持ち帰った温泉水を使っていくつものおむすびを握った。基本は家族の風呂の出汁である。これがベースとなり、そこに『万歳湯』、温泉水とブレンドしていくことで具材に合わせていくつもの味を表現した。研究に打ち込むことで『おむすびたもつ』の開店日は不定期となった。店には毎日人だかりが出来、定休日とわかると客は肩を落とし、悲しみに泣き崩れることもあった。開店日はおむすびを求め、我先にと押し合い圧し合い、喧嘩が起きることも珍しくなかった。客たちの瞳は血走り、おむすびは高額で転売されることもあった。運良く買えても食べるまでは安心できず、おむすび狩りが多発し、刃傷沙汰の危険なおむすび 騒動はメディアで取りあげられ、『おむすびたもつ』の人気を更に煽った。開店日にはガードマンを雇い、争いを諌めなくてはならず、あちこちで衝突が起きた。馬鹿野郎、ぶっ殺すの合唱で商店街は赤く染まるのだった。ついに地域の安全を守れないという理由から商店会長から『おむすびたもつ』の営業自粛を土下座で懇願されるに到った。
ヨシの願いはひとつ。保の出汁でつくったおむすびの味をもう一度味わうこと、そしてそれを超えることであった。しかしヨシは心のどこかで気づいていた。保の出汁を超えることはできないのだと。老人には引き際も大事かと思うようになり、『おむすびたもつ』は無期限休業となった。しかし、おむすびを楽しみにしていた客たちは違った。ヨシのおむすびは、高純度の麻薬を超える依存性を持ち、常連客は皆、おむすび無しには生きていけない中毒者に変貌していた。そして、彼らの依存症は、明確な破壊衝動へと形を変えていった。角材で商店街を襲撃し、商店会長を病院送りにした頃には、立派な暴徒の集団となっていた。ここに到り、警察はヨシをこの騒乱の重要参考人として任意同行した。これには暴徒から保 護する名目もあったのだが、返って火に油を注ぐ結果となり、膨れ上がった怒りは臨界点を瞬く間に超え、投げ込まれた火炎瓶で街は火の海と化した。街の荒廃と共に暴徒は増加し、初動を見誤った政府に対する批判は一層激化した。これを好機と現体制の崩壊を目論む政治屋、暴徒、有象無象が集結した結果、革命軍が爆誕するに至った。
カオルは開いた口が塞がらなかった。祖母が何故か捕まり、革命軍の狙いがこの警察署にあると知り合いの行商人から聞いた時から、嫌な予感はしていた。そもそも、『おむすびたもつ』に行列が゙出来始めたのだって不可思議だった。不審な点は線で繋がり、街を焼く大火の原因が、体制崩壊を目論む革命気取りの連中の勃興が、その渦中に祖母と祖母の握ったおにぎりがあった。なんならカオルの出汁も一役買っていた。確かに、おむすびは人の手で握ると美味しくなると聞いたことがある。人の手の酵素の力がおむすびを美味しくするのだと。だからといって風呂の湯がここまで効果を及ぼすのだろうか。俄かに信じがたいが、実際に騒乱は起きている。というか、今気づいたけど、私もおじいちゃんの出汁おむすび食べてるし。そもそも保の出汁って何よ。美味しかったけど。混乱してカオルの頭の中はグチャグチャだった。
「もうすぐ、革命軍がおばあちゃんを救出に来るよ。この様子だと、警察署はもたない思う」
「革命軍ねえ」
ヨシはおむすび以外に興味がなく、政治なんてものは若い者がやれば良いと思っている。
「おばあちゃんの話を聞いて確信したよ。連中はおばあちゃんをここから助けて、おむすびを握って欲しいのだと思う。いや、助けるというか、利用したいというか。おむすびを使って煽動したいのだと思う。だから、レシピが知りたいんだよ」 「良いかい、カオルちゃん。おむすびの秘密はアンタに教えた。継ぐも辞めるもアンタが決めなさい。私はもう誰にも喋らんさ」
ヨシはそう言って、いつものようにクシャリと笑った。何を言っているのかカオルは理解するのに時間がかかった。
「それにね。おむすびは道具じゃないの。食べるものなのよ」
カオルは背筋が寒くなるのを感じていた。
たった今、祖母から孫へ一子相伝の秘術が口伝にて継承されたのだった。
廊下から、けたたましい音が鳴り響く。怒号と乾いた銃声で我に帰ると、祖母と目が合った。その瞳はひときわ輝いて見えた。
「好きにやんなさい。握ればなんでも美味しいのよ、おむすびは」
Sサイズ:着丈63, 身幅47, 袖丈18 cm
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Cotton 100% , 6.2oz
design by ryohei kazumi
photo & text by takaaki akaishi
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