PAN AMERICAN LADIE'S SWIMMING CONTEST 2

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PAN AMERICAN LADIE’S SWIMMING CONTEST 2 cap

PAN AMERICAN LADIE’S SWIMMING CONTEST 2(以下、PALSC2)とは、
1989年に骨董の買い付けに来日したJohn Greenfieldが、ホテルのテレビで「女だらけの水泳大会」を偶然目撃したことに端を発しています。Johnは日本語を理解していませんでしたが、画面映えするその光景に釘付けとなり、その高いエンターテイメント性もあってか、大変に感銘を受け、帰国後、カリフォルニアでトータルスウィミングコンテストを始めることになります。
本家にあった浮島戦、水上格闘、水上騎馬戦などを踏襲しつつも、純粋に競技として発展していったため、男性視聴者を喜ばせるための分かりやすいセクシャル(要するにポロリ)要員は存在しませんでした。浮島や水中での騎馬戦と個人、団体競技といった混成型のトータルスウィミングによって競うため、水中競技が苦手とされてきた黒人選手が華々しい活躍をみせるなど、これまでの水泳競技とは一線を画すもので、最盛期の競技人口は1万人に届くと言われていました。

しかし、PALSC2の成功によってJohnは人が変わったように自堕落な人間へと変わっていき、幾つもの不祥事を起こし、訴訟沙汰にまで発展、1999年の大会を前に飲酒運転による交通事故でこの世を去ってしまいます。この一件によって求心力を失い、2002年の大会を最後にPALSC2は終了しました。

ENTERTAINMENT創設者のひとりであるマツオはカズミと出会う前にJohnの元でPALSC2のインターンスタッフとして働いており、今年はPALSC2の第一回大会が行われた92年から四半世紀の節目の年にあたるため、当時スタッフに支給されていたPALSC2キャップの復刻版を製作することとなりました。
あの夏いちばん白熱した思い出をあなたに。

フロントに "PALSC2" のロゴを刺繍。
綿100%

design by born machine records
text & photo takaaki akaishi
model fancomi